セヴラックの音、郷土の響き



Photos par Paul Palau qui est le photographe de Canigu

      深尾由美子 著 〜2009年春秋社発行 「春秋」1月号より〜 

<フランス近代の作曲家D.de セヴラック(1872-1921年)について> (地図)

パリで学び、ドビュッシー、ラヴェル、アルベニス・・・といったフランス近代の音楽家、同時代の画家や詩人たちと親交をもちながら、創作のインスピレーション源はいつも生まれ故郷の南フランスの郷土に負っていたセヴラック。陽光溢れる地中海からフランス南端を大西洋へ走るピレネー山脈の周辺は、風光明媚な美しい地方が広がり、自然の姿そのものが芸術だという。美しい旋律をあふれるように生み出すセヴラック。自然の美しさをそのまま和声にうつしかえたいと願っていた彼は、前代未聞の響きをつくりだす。フランス近代音楽がさかんに求めた新しい作曲技法や音楽語法。ドビュッシーやラヴェルとも違うセヴラックの音楽からは、陽光、大気、人々、そして追憶が遥か彼方から、詩的な響きを通して呼びかけてくる。

<フランスとスペインの国境線〜カタルーニャ地方>

セヴラックのヴァイオリンとピアノのための曲に出会った。某レコード会社のM氏所蔵の大変貴重な楽譜に、ここ日本でめぐり合うことが出来た。
「ミニョネッタ」(フィゲラスの想い出)、「セレの想い出」、これらの曲のタイトルと副題にある地名の”フィゲラス”と”セレ”の街は、フランスとスペインをまたがるカタルーニャ地方にある。フィゲラスはバルセロナの北に位置し、ダリ美術館があることで有名な美しい地である。そしてセレは、セヴラックが1910年に居を据えたフランスの南端ピレネー・オリエンタル地方にあり、民族舞踏サルダーナのメッカでもある。サルダーナとは輪になって踊るカタルーニャの踊り。”コブラ”と呼ばれるその地方独特のオーボエ系の管楽器の楽隊が伴奏する。今でも日曜日の昼下がり、バルセロナのカテドラル前広場などを通ると目にするが、人々が大きな輪をつくって踊る。カタルーニャ民族の団結の儀式ともいうべきこの踊りの歴史は古く、起源は古代ギリシャにさかのぼる。
セヴラックは、少なからず”サルダーナ”を作品の中で用いるのだが、「ミニョネッタ」(フィゲラスの想い出)、「セレの想い出」には、サルダーナのリズムが用いられている。まったく正反対のキャラクターを持つこの2曲、「ミニョネッタ」はスペインを感じさせる威厳あるリズム、魅誘するような旋律で何か秘められたものを感じさせるのに対し、「セレの想い出」では、底抜けに明るく開放的で、激情がほとばしる。この曲の中では、この地の民族楽器−甲高い音色のフルート、フラビオル(甲高い音を出す笛)、派手でリズムカルなタンボリが打ち鳴らすされる様子は、戸外と、その地の楽隊を連想させる。続く場面は、一転してその地方に伝わる歌謡や異国情緒を漂わせる旋律が山の稜線にこだまする。音楽の中では、祭りの喧騒、陽気に踊る人々、そのすぐ裏で教会から漏れてくる歌声には、祈らずにはいられない苦悩が見え隠れする。まるでそこに暮らす人々の喜怒哀楽が、その人生がサルダーナの踊りの輪のなかで渦を巻いているようだ。セヴラックの語る情景は、海辺から、瞬く間に山頂へかけのぼり、動と静が目まぐるしく交差する。彼が頑なに表現しようとしたカタルーニャの大地は、イベリア半島の歴史のなかでイスラム東洋とキリスト教西洋の支配の興亡が繰り返されてきた。人々は粘り強い精神性をもち、バスク地方と同様に独自の言語や文化に誇りを持ちスペインの他の地域と画一化されることを拒む。起源は古代ギリシアに遡るというこの民俗舞踏サルダーナには、その歴史の流れのなかで生き抜いてきた人々の魂がしみこんでいるような気がする。1910年パリから帰郷したセヴラックはこう語った。「僕はパリでは根無し草だったが、故郷に帰って、祭りで踊って、我に帰った」。私の中で長い間、どうしてもイメージが沸かなかったピアノ曲がある。アルベニスの組曲「イベリア」にも呼応する彼の力作−絵画的組曲「セルダーニャ」−の第3曲”村のヴァイオリン弾きと落穂ひろいの女たち”はサルダーナを用いた作品のなかでもひときわ大きく炸裂する曲だ。
先のヴァイオリンとピアノのための2曲に出会ったおかげで、サルダーナの渦の中心にあるものが私の中で生彩を放ち始めた。

<プーレ氏との出会い>

フランス留学から帰ってほどなく、ジェラール・プーレ先生の演奏会を聴いた。日本の気候、湿度の高さからくるのだろうか、音の「重さ」に、フランスの音が懐かしくなっていたときだった。逗子のホールで聴いたラヴェルのヴァイオリンソナタ、そのフレーズは天使の羽が生えたように軽やかであるにもかかわらず、音はよく歌いよく伸びる。均整のとれた解釈、フランス・ロココの精神を髣髴とさせる気品のある美しい音色に魅了された。私は求めいてた「音」を見つけた。「プーレ先生、私とセヴラックを演奏していただけませんか!」「セヴラックの名前だけは知っているけれど、どんな曲?セヴラックの音楽は聞いたことがないのだよ」とのことだった。
フランス人は案外自国の作曲家に冷たい。リヨンにいたころも、セヴラックの名を知る人は少なかった。セヴラックを知らなかったプーレ先生は、弾いてゆくほどにその曲に魅了されていった。

「フランスの音」

リヨン留学中、忘れられない思い出がある。ある演奏会で聴いたフランスの若いチェリストの奏でる「音」は、一晩中でも聴いていられそうな柔らかな音だった。ただ柔らかいだけではなく、そこにはいろいろな表情(ニュアンス)があって、体が暖かな空気のなかに浮遊するような感覚を今でも思い出す。天使の羽で愛撫されるような、天上の世界に連れて行ってもらったような。同じ演奏会で、弦楽四重奏の第一ヴァイオリンが日本人の奏者であった。完璧な演奏であったのだけれど、どうも聴いていると疲れてしまう。リヨンで弦楽器や管楽器奏者たちとのアンサンブルの経験から、そのわけの一つを私はこう考える。乾燥した気候、天井の高い石造りの建物の中では力まなくとも音がのびる。その分、音のニュアンス作りに専念できるし、ダイナミックレンジも広がり音楽に立体感や色彩がでる。湿度が高く、天井の低い所で練習していると音がのびないので、まずははっきり、よく聞こえるように弾くことに神経が行ってしまう。ニュアンスをつくることが二の次になるし、ダイナミックレンジも狭いのだ。環境が耳を作ることを実感した。私がカタルーニャ人のピアノの先生と勉強したこともこの「音」であった。timbre !(響きをつくりなさい)彫刻家がレリーフを刻むように、陶芸家が土をこねるように、ピアニストは指先で響き、色彩をつくりだすことなのである。あるとき先生はこう訊ねた。「日本人はみんなよく弾く。でもどうして、音がきついの?ハラキリの文化からきているの?」先生はよく日本映画を見ているから、ハラキリをする日本人の気質と音を関連付けている。
使っている言語や国民性も、深い影響を及ぼす。またこんなエピソードもある。サラサーテのバスク奇想曲を、日本のコンクールで聴いたときだ。何人かの学生たちが、バリバリと完璧に弾きこなすのだがプーレ先生は「違う」と言う。愛らしいはずの音楽が、軍隊音楽のようになってしまっていて、方向性を逸している。競って弾かれるコンクールとういう情況で、みな固くなっているのという理由だけなのだろうか?バスクの太陽に日焼けした顔が、微笑むような素朴な魅力や”やさしさ”、切ないような哀愁はジプシー音楽とも異なるはずだ。

「スペイン」−音のなかの「陽光」

そのジェラール・プーレ先生が、あるときラロのスペイン交響曲5番のヴァイオリン・ソロパートを演奏したときだった。彼のソロ・ヴァイオリンの生き生きとした明るい音色がオーケストラの響きに光を放ち、音楽全体が生き生きと輝き始めた。その場は太陽の国スペインになったかのごとく、頭上には鳥たちが集まってきてさえずりだしそうような錯覚を覚えた。フランスからスペインへ下ると太陽の光はより強く、あたりはより鮮やかに色彩が変化する。

<フランスからスペインへー太陽の国へ誘うコンサートー>

南へ下がると気候も暖かくなるように、人々もdelicieux(=やさしい・感じが良い意の最上級のほめ言葉)暖かくなるのだろうか。帰郷したセヴラックが友人はあてた手紙を紹介しよう。「〜天気の良い日は、ツグミたちのさえずりがそのまま「メロディー」になっているのが驚きだよ!ここはとっても静かだ。地中海から吹いてくる風が唯一の音楽。対位法がどうの、和声法が・・・と音楽を論ずる人は誰も居ない。「聴くこと」の他には何も必要ないのだよ。パリは刺激的さ、でもやっぱりここは最高だ。のどかな平原に羊飼いとパンの笛、善良な人々、愛するものたち・・ここでは、人々は delicieux(=やさしい・感じが良い意の最上級のほめ言葉) さ!」驚くほどの聴覚の持ち主の彼は、その素朴さゆえに忘れ去られそうになった”愛するものたち”を太陽のもとにさらして、生命の輝きを与えた。カタルーニャからピレネーを越え、凝縮された音楽でイベリア半島を描くファリャの作品、バスク人のサラサーテのヴィルトーゾ(名人芸)を誇る作品の中心に秘められているものを、ジェラール・プーレ氏のヴァイオリンの音とともに照らし出してみたい。真冬のコンサートは熱い夜になりそうだ。


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