Déodat de Séverac

     
デオダ・ドゥ・セヴラック
Déodat de Séverac
 ( 1872 St Felix Lauragais - 1921 Ceret France )

'Il fait de la musique qui sent bon et l'on y respire à plein coeur'-Debussy-
~良い香りのする音楽~
フランス近代の作曲家 セヴラック(デオダ・ド・セヴラック)をご存知ですか?
ドビュッシーは彼の音楽を「良い香りのする音楽、そこで私たちは胸いっぱいに呼吸する~」と、ピアノ曲「ラングドック地方で」の楽譜をセヴラックから送られてきた後で、そのお礼を共通の友人ラロワを通して伝えた。”アパッシュ”仲間のラヴェルやアルベニス・・・らとの親交の様子も興味深い。そんなセヴラックの音楽の魅力とは?
それはどこから来て私たちに何を伝えてくれるのか・・・
ピアニストの深尾由美子が演奏しながら見つけたものをご紹介できればと思います。

セヴラック~どんな作曲家?

セヴラックは1872年にフランスの南部ラングドック・ルシヨン地方のサン・フェリックス・ロラゲという小さな村で生まれ、
音楽はもとより絵画に造詣の深い芸術一家に育つ。その地方の大きな街、ソレーズの士官学校で学び、21才からは24才まではバカロレア(大学を受験する資格を得る試験)のためにその地方の首都トゥールーズで法律の勉強しているときに、フランス国内をある目的で旅していたシャルル・ボルドーに見い出されパリに出る。このシャルル・ボルドー(1862~1909 )は、作曲家、合唱指揮者でドビュッシーと同じ年の生まれでした。作曲家のヴァンサン・ダンディー、アレクサンドル・ギルマンたちとパリ音楽院とは異なった方向、つまりグレゴリオ聖歌や教会音楽、民謡採取などの音楽教育を実現するために、パリにスコラ・カントリウム音楽院を創立した。
セヴラックは35才までの約10年間をこのスコラ・カントリウムに籍を置き、作曲をヴァンサン・ダンディー、マニャールに、オルガンをアレクサンドル・ギルマンに、そしてピアノをイツァーク・アルベニス、ブランシュ・セルヴァに学ぶ。
パリでは、同時代の急進派の画家ピカソ、ルドン、マニョロ、アビランド、ゴーギャンや彫刻家たちと親交を結び、
ヨーロッパ中から集まる芸術家の中で切磋琢磨しながら、自らのすすむ道を定めていく。
19世紀末のパリではワーグナーの音楽がもてはやされていたが、彼も一度はその魅力のとりこになったものの、当時あまりにもこのドイツからやって来た音楽の支配下にあったフランス芸術の再生を模索した。
詩的音楽世界を深く愛し、シャブリエやアルベニス、ショパン、シューマンを深く尊敬していた。
ドビュッシーは国民音楽家協会のコンサートや彼の公演に出向き励ましを送った。しかし彼は10年に及ぶパリ音楽修行に終止符を打ち、ピレネー・オリエンタル県の”セレ”というピレネー山脈のふもとの街に終の棲家をさだめた。
フランス地方の大地、そこに生きる善良な人々への愛着や誇り、忘れ去られてしまいそうな素朴な「美」を見出し作品のなかに留置く。「自然の美しさを和声で染めあげてゆくのだ」と自らの創作美学を打ち明けている。彼の暮らしたフランス東南部のセレは第一次世界大戦前にはキュービズム発祥の地でもあり、ピカソもセヴラックを追って一時期居を構えていた。フランス側カタルーニャの地には人々の精神のよりどころであるカニグー山がそびえ、セヴラックの屋敷から美しく輝く姿を眺めることができるという。 地中海の太陽、光、風、・・・
風光明媚な「音楽の神の棲むミューズの国」へ旅をしてみましょう。