中位程度の難しさの7つのロマンティックな小品集〜お城で、そして公園で〜
という副題がありますが、 “中位程度の難しさ”というのは音が少ない、シンプルという意味では当たっていますが、決して簡単に弾けるという意味ではありません。
セヴラック円熟期の珠玉の小品集と言えると思います。
音が少ないとは、音楽のエッセンスに集約されているということ。
ひとつひとつの音がものを言うので、ただ弾けばよいというものでもありません。
セヴラックが意識しているロマン派的な歌わせ方や和声に加え、作品に込められた「エスプリ」をおしゃれに、また彼の音楽に共通する大げさではない、「さりげない魅力」を表現できたら素敵です。

プロローグ「シューマンへの祈り」

〜シューマンの「子供の情景」の第1曲を思い起こされるような、付点の入った8/6拍子のリズムに乗って、
私たちは子供の世界に招き入れられるような気がします。

Leggiero ma espressivo il canto (軽く、しかし表情豊かに歌うように)

息の長い右手のメロディーラインは、心が躍るような付点の音型にのって弧線を描きます。
この音型は曲をとおしてやさしい揺れを提供しています。うたはアルトから時にテノールへ、声部間で引き継がれ、
和声は柔らかに陰影を与えます。
子供時代の思い出は追憶の彼方に消えてゆくかのごとく、
最後はp,plus doux ,diminuendo molto, pp,morendo,  ppp,  pppp   で終わります。

第1曲の おばあさまが撫でてくれる 
Lent e molto espressivo il canto (ゆっくりと、そしてとても表情豊かに、うたうように)

ここでも、“うたうように“との指示があります。
この曲はセヴラックの姪、1905年5月18日サン・フェリックスに生まれた
マリー・アントワネット・フランソワーズ・ド・ボヌフォアに捧げられています。
(この子の母親はセヴラックの姉ジャンヌです)
セヴラックはこの姪っ子の洗礼の祭に代父を務めました。
(キリスト教の儀式を受けるときの代理父は通常親戚の伯父さんが代父になることが多い)
おばあ様とは、マダム・ジルベール・ド・セヴラック、つまりセヴラックの母のことでありましょう。
セヴラックの家系は地方の貴族であったから、母であるこの男爵夫人が優しく孫娘を愛撫する光景が目に浮かぶようです。
シューマンの緩叙楽章のような多声音楽(4声)で、クラヴサン音楽のような和音のアルペジオが優雅さを演出しています。
気品の香る美しいこの曲は、セヴラックのピアノ曲のなかでも美しい旋律を誇る「ポンパドゥール夫人への詩句」の姉妹のようです。
この曲の楽譜には強弱のニュアンスや息遣い(フレーズ)が大変繊細に指示されています。
それはまるでクラヴサン音楽の楽譜を見ているような気がします。
この時代は楽譜とともに演奏し、即興をすることが常識ででした。
コンサートでは以上のことを尊重するために、楽譜とともに演奏させていただきます。

第2曲「ちいさなお隣さんが訪ねてくる」からは、開け放たれた「館」の扉から、村の子供たちがやって来てこどもたちの謝肉祭が始まります。
ヴァトー、ドビュッシー、ヴェルレーヌ・・・フランスの18世紀、19世紀の詩人や画家たちが好んで音楽の舞台に選んできた野外でのピクニック、
舟遊びや仮装といった「たっぷりの遊び心」の精神がセヴラックにも見られます。
こどもの心・こどもの魂・・・私たちは、こどもの世界で歓迎されます。


第3曲 [教会の聖具係(Suisse d'eglise)に変装したトト]
フランスで「トト」とは、いたずらっ子の男のことを指す。
Suisse d'egliseとは教会の聖具係をこのように表現する。この曲はガストン(ヴァイオリニストで出版に携わる旧友ルネ・ド・カステラの息子)に捧げられている。
いたずらっ子ガストンはすまし顔で、教会の聖具係に変装してそろそろと威厳を持って歩く。
メロディーが本当にきれいですね。

第4曲「ミミは侯爵婦人に扮装する」 Tempo di Menuetto
セヴラックの貴族的な趣味がいやみなく垣間見れる。
これは、友人の彫刻家シプリアン・ゴデブスキ(ペパーミント・ジェットを献呈されている)の子供に捧げられているのか。
ちいさな公爵夫人の足取りはメヌエットふうの3拍子にのって軽やかにはずむ。

第5曲 「公園でのロンド」 Andantino
セヴラックの生まれ故郷サンフェリックス・ロラゲの生家の近くにはお城がありその近くには公園がある。
子どもたちは優しい旋律にのり、輪になって踊っているのでしょうか。

第6曲 「古いオルゴールが聴こえるとき」Allegro assai quasi presto
オルゴールの昔懐かしく神秘的な響きが軽やかに舞います。
第7曲 「ロマンティックなワルツ」Allegro quasi vivo
柔らかいノスタルジックなワルツですが、独特だと思うのは、フレーズの頭や途中、最後・・・にもしかしたらこれも鐘の音?!
これは考えすぎでしょうか、セヴラックの曲にはそこかしこに鐘の音が聞えてくるので、鐘がイメージのもとになって歌が生まれたと考えられるところがたくさんあるように私には思われます。鐘が歌いだす!ように。

<子供と音楽>
シューマンが子供も弾けるように配慮をして書いた「ユーゲント・アルバム」と、彼自身序文で述べているように、
シューマン自身=“子供の洋服を着た大人”が子供の世界へとびこんでゆくファンタジーを書いた「子供の情景」では視点が違うように、
セヴラックの<休暇の日々より>はこの後者のスタンスに近いように思われる。しかし子供の想像力を大いに刺激することだろうし、
きらきらした音を出すために手首をやわらかくして、ポワニエの奏法を用いるなど、良い勉強にもなることでありましょう。
子供時代に思いを馳せている大人は、すっかり子ども時代に帰る。
お城で、そして公園で、(セヴラックの生まれ故郷サンフェリックス・ロラゲの生家の近くにはお城と公園がある!)
純真無垢な魂は遊びの世界へ入っていく。
それは、フォーレのドリーや、ビゼーの連弾曲集「子供のあそび」の世界、
さらにはドビュッシーの子供の領分、ラヴェルの子供と魔法の世界に共通いています。
“中位の難しさと銘打ってはいますが、音の少ないピアノ曲ほど聴く人に機微を感じさせることは難しいと思います。
 セヴラックの名作といえましょう。

En Vacance 1er recueil 休暇の日々 第1集 (1911年作曲)

7つのロマンティックな小品集

(副題)〜お城で、そして公園で〜

プロローグ 「シューマンへの祈り」
1、おばあさまが撫でてくれる
2、ちいさなお隣さんが訪ねてくる
3、教会の聖具係に変装したトト
4、ミミは侯爵婦人に扮装する
5、公園でのロンド
6、古いオルゴールが聴こえるとき
7、ロマンティックなワルツ

左の写真はセヴラックの生家の扉です。
誰なのかはわかりませんが、近所の娘、青年、親しい子供たちだそうです。
これらの7曲の各曲はすべて、セヴラックの甥や姪、そしてセヴラックの
親しい友人のこどもたちに献呈されています。

休暇の日々  第1集

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